
苦しいとき、
私たちはよく「原因」探しをします。
でも少し立ち止まってみると
同じ出来事でも
イラつく時もあれば
さらっと流せる時もある。
同じ出来事でも
苦しむ人もいれば
さらっと流せる人もいる。
だとしたら
苦悩の「根っこ」は
出来事そのものじゃなくて
受け取る側にあるのかも。
多くの場合、
苦しみの原因の根っこは
出来事そのものではなくて
その出来事に対して自分が持っている
「こうであってほしい」
「こうあるべきだ」という
「理想」や「常識」への、
執着と葛藤だと思うんです。
現実がその「理想」や「常識」と
一致するとき心は穏やかで
現実がその「理想」や「常識」と
ズレるとき心は波立つ。
そしてその「べき」や「理想」を
強く握りしめるほど
その「ズレ」は重大なことに感じられて
苦しみの波もまた大きくなる。
逆に言えば
こういうことでもあります。
今感じている苦悩の強さは、
自分がどれだけ強く
「べき」や「理想」を握りしめているかの
正直な現れのひとつだということ。
だからこそ
先ずは気づくだけでいいんです。
自覚するだけでいいんです。
自分が何に執着しているのかを。
それだけでは苦しみの全てを
滅することはできないと思います。
でも 「あぁ、そうなんだ」とただ気づくだけで
感情との間に、少し客観的な距離が生まれます。
ただ気付くだけで
苦しみとの間に、少し余白が生まれます。
その客観的余白の中で
自分の内側が見えてきます。
自分はどんな価値観を握りしめているのか。
どんな「べき」を握りしめているのか。
苦しみは
その問いへの入口になり得ます。
苦しみに気付き言語化していくことは
自分を責めることではありません。
この脳の思考のクセを自覚するための
有益な一歩だと思うんです。
自分の中の
理想と現実の陰陽のバランスを
取り戻すための大切な一歩。
ありのままの世界と自分を
無条件に愛するための大切な一歩。
苦しみは 大きな華を咲かせるために必要な
大切な栄養素の一つ。
