【陰と陽の戦いの先にあるもの】

今日は少しだけ、私自身の話しをさせて下さい。

正直に言います。

ポジティブ思考で
「陽」だけを求めて「陰」を避けていた頃は
実は内心、ずっと苦しかったんです。

自分の良い面ばかりを周りに見せてたくて

弱い自分
怒りっぽい自分
だらしない自分を
切り離そうと必死でした。

でも切り離そうとするほど
なぜかその部分は消えてくれなくて。

むしろ意識すればするほど大きくなっていきました。

そして「理想」と「現実」の差に
疲労と葛藤とストレスだけが蓄積されていきました。

あのとき見えていなかったのは

「陽」を強く求めるほど、
それを失う不安もまた同じだけ大きくなる、ということ。

「陰」を遠ざけようとするほど、
それが近づいてくる恐怖も同じだけ大きくなる、ということ。

「陰」と「陽」は、コインの裏表。
片方だけを手に入れることは、そもそもできなかったんです。

強い感情が湧いてくるとき、
そこには握りしめている「モノサシ」が隠れていることがあります。

それは例えば、「理想」だったり
「こうであるべき」といった、自分が握りしめているモノサシ。

そのモノサシを手がかりに、
出来事の「➕」の側面だけでなく「➖」の側面も丁寧に見ていく。

「➕」だと思っていたものの、「➖」の側面も丁寧に見ていく。

怒りっぽい自分にも➕と➖がある。
優しい自分にも➕と➖がある。

その両面が、完全に均衡を取り戻したとき、
「陰」と「陽」は互いに打ち消し合い
「陰でもなく陽でもない」中性なエネルギーに統合されます。

そしてそのエネルギーは私たちの意識には
「無条件の愛と感謝」としか呼べない強いエネルギーとして知覚されます。

同時に出来事に対する解釈もニュートラルに還っていきます。

物理学で「対消滅」と呼ぶこの現象は、私たちの頭の中でも起こり得るんです。

そのとき
「優しくても、優しくなくてもいい」
「怒っても、怒らなくてもいい」

「どちらでもいい」という感覚が、
言葉じゃなくて、体感になります。

この「どちらでもいい」という感覚は、
どちらかを諦めることでも、投げやりになることでもありません。

どちらにも、
等しく「価値」があるとわかった先に、自然と辿り着く場所だったんです。

抜こうとしていたそれが、実はただの雑草じゃなかったとしたら。
切り離そうとしていた根っこが、実は慈愛を与えてくれていたとしたら。

陰と陽の「差が取れた」とき、
自分の中の陰と陽の戦いが、静かに終わっていきました。

自分の中の 「良いか、悪いか」
「正しいか、正しくないか」 という戦いが、静かに終わっていきました。

そしてそこに残ったのは、
「ありのまま」に対する「無条件の愛と感謝」でした。

☯️バランス思考のススメ☯️

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