安全な航海に、「地図とコンパス」は欠かせません。
もしもお釈迦様の説いた真理の1つといわれる「中道」の教えを、この人生における「地図」に例えるなら、この記事で語ってみたい「もう1つの中道」は、その「人生の地図」の価値を真に活かすための、「コンパス」であるといえると思います。
「中道」の説明として一般的によく言われるのが、「偏った考えや言動を避けた、バランスの取れたちょうどいい生き方」。
琴の弦はゆる過ぎても張りすぎてもいい音が鳴らない、というこの中道を、『ちょうどいい中道』と名付けたいと思います。
仏教では、苦行にも快楽にも偏らない、ちょうどいいところが修行の肝になる、という例え話もよく出てきますよね。
一方でもう1つの中道、こちらを『ありのままの中道』と呼んでみたいと思います。
言い換えるなら「陰でも陽でもどちらでも大丈夫」という視点。
「陰でも陽でも、どちらでも大丈夫。だからありのままの自然体でいられる」という生き方。
「ちょうどいい中道」が目的地への地図だとすると、先述の「コンパス」にあたるのが「ありのままの中道」です。
目的地の地図はとても重要ですよね。
でもコンパスという信頼できる指針があるからこそ、地図が活きてくるんです。
どういうことか説明してみますね。
<二元的思考からの解放>
私たちの社会では一般的に「悪は避けるべきもので、善は歓迎すべきもの」と考えられています。
しかし、こうした二元的な捉え方は、複雑な現実の一面だけを切り取って、便宜的に「善」「悪」とラベル付けしているに過ぎません。
あらゆる事象は陰と陽の両面を併せ持ち、コインの裏表のように、本来それらは切り離すことができないものなのです。
そして実は、こういった善悪二元的な考え方こそが、苦しみを生み出すそもそもの根源なんです。
「健康はいいことで、病気は悪いこと」とか「成功したいけど、失敗はしたくない」とか「自分は間違っているのかも」などといった、「善悪」「優劣」「正誤」のような「二元的考え方」がまさに人間の苦しみの根源なんです。
「陽」の状態を善として求め続けるとそれは執着に変わります。
「陰」の状態を悪として避け続けるとそこに否定が生まれます。
「こうあるべき、こうなって欲しい」といったコントロール欲求と、理想と現実のギャップが、葛藤や怒り、悲しみや不安につながっていきます。
お金や仕事に関してもそうです。恋愛や人間関係に関してもそうです。
しかしバランス思考と陰陽統合の視点で生活していくと、陰は陽と同じだけのメリットとデメリットを兼ね備えているし、陽も陰と同じだけのメリットとデメリットを兼ね備えている、ということが見えてくる。
つまり陰と陽どちらにも等しく価値があり等しく尊い、ということが腑に落ちて理解できるようになります。
あなたが失敗と捉える出来事にも、必ず恩恵やメリットが隠れています。
誰もが成功と捉える出来事にも、必ず弊害やデメリットが潜んでいます。
このように陰陽両方の側面を等しく認識することで、成功でも失敗でもどちらもかけがえのない価値を持った1つの出来事、という全体像を捉えることができるようになります。
すると、出来事を「成功か失敗か」「善か悪か」「正しいかどうか」で分別すること自体が減っていきます。
この視点こそが、解放の鍵となります。
これが「陰でも陽でも、どちらでも大丈夫」と思える理由です。
つまり「誰かの正しさ」や「べき」に左右されない、あなたにとっての、一番自然なありのままの姿、中道の姿になっていく。
この老荘思想の「無為自然」にも通じる考え方を『ありのままの中道』と呼びたいと思います。
<二元的考え方から解放された結果>
例えば、ダイエット中もあれこれこだわることなく、「身体が欲するなら食べていいし、そうでないなら食べなくてもいい」、「体重もいまより多くてもいいし、少なくてもいい」、というくらいの柔軟な心持ちで取り組めば、余計な義務感や力みで疲れたり、無用な罪悪感や焦りに苦しむことなく、楽に「最適値」に辿りつけると思うんです。
「どちらでも大丈夫」と、ありのままでくつろいでいれば、自然とその人に一番適した、その人なりの中道が現れる。
それはもしかしたら、「平均値」と同じではないかもしれないけれど、それが本人にとっての「最適値」。
自然とそうなったのであれば、それが本人にとって、自然でありのままで、それが「ちょうどいい」んです。
そこには人智を超えた自然の摂理と秩序があります。
ただ念のために、ここで明確にしておきたいのは「どちらでも大丈夫」という視点は、あきらめや無関心をおススメするものではないということ。
むしろ義務感や罪悪感といった感情的な抵抗を手放すことによって、常に冷静に現実と向き合い最適な対処を可能にするための「心の技術」なんです。
困難な状況も、それを絶対的な悪とみなしてパニックになったり感情的になったりする無駄なエネルギーを手放すことで、冷静に創造的に現実と向き合うことができるようになります。
つまり現実と効果的に向き合うための「心のテクニック」です。
常に自分のコンパスが北を差し続けていることを知っていれば、人生の嵐の中を進むときも、現状を否定して嘆いたり、「間違ってるんじゃないか、どう思われるか」と心配して無駄なエネルギーを浪費することなく、前に進むためにするべきことを冷静にこなしていくことができるのではないでしょうか。
<どっちも大事>
だからこの「どちらでも大丈夫」というありのままの視点に立つと、快楽に溺れることも、苦行に励むことも、どちらも等しく価値があること、ってなるんです。
どちらも結局、かけがえのない、等しく尊い経験だから。
だからあなたが今まで経験してきた、楽しく感じたことも、苦しかったことも、どちらもかけがえのない尊い経験だったんです。
あの期待も失望も、憧れも軽蔑も、興奮も落ち込みも、傷つけたことも傷つけられたことも、助けたことも助けられたことも、ぜんぶです。
手で持てるもの、例えば携帯電話とか、ペットボトルとかなら、その重心(=物体のバランスの中心)を見つけるのは簡単です。
琴の弦なら、調律をしてちょうどいい音にするのも難しくはありません。
でも快楽にも苦行にも偏らない「ちょうどいいバランス」を見つけるには、快楽がどういうものが、苦行がどういうものか、知っている必要があると思うんです。
どちらも知らない人には、「ちょうどいいバランス」は見つけられないと思うんです。
日々私たちが様々なことを見聞きしたり、体験したりして、感情が上がったり下がったり、右に左に揺れ動くのには、こんな理由もあるのかもしれません。
この左右の揺れが、いわばコンパスの精度を上げていくための調整作業になる。
<ありのままがちょうどいい>
少し極端な表現をすると、「琴の弦は少しくらいゆるんでいてもいいし、張りすぎていてもいい」、「いい音が鳴る日もあるし、鳴らない日もある」というくらいの穏やかな心構えで演奏する方が、リラックスした状態でより心のこもった、味のある、その場に即した、「ちょうどいい」演奏ができるのではないでしょうか。
もしそれがその瞬間にそのような表れとしてそこにあって、自然にそうなっているのであれば、きっとそれが「ちょうどいいバランス」なんだと思います。
そこには善も悪もなければ、正しさもありません。
少しも変えたりコントロールしたりする必要はないんです。
これが腹の底から納得できた時、人は心底ゆるむと思うんです。
より良くなるために、正しくあるために、批判されないように、もう何かを変えたりコントロールしたり、頑張ったりしなくていいんです。
そう納得できた時、心に余裕とスペースが生まれます。
その空いたスペースを、穏やかさや安心感が満たしていく。
それが自然とあなたを「ちょうどいい」状態に導いていく。
つまり、バランスの取れた先にある安定は、それを一生懸命に探している時ではなくて、むしろ両方の可能性をも包み込むように「どちらでも大丈夫」と受け入れた結果として、自然と立ち現れてくる、それが「ちょうどよさ」ではないでしょうか。
「どちらの状態でも価値がある」という信頼できる指針(コンパス)があるからこそ、私たちは執着や否定から自由になり、結果として地図に描かれた、自分にとって最も自然でバランスの取れた「ちょうどいい」状態へと導かれるのです。
