「正しさ」の檻から脱出する:「自分らしさ」を取り戻す4つの指針

なぜ「正しいこと」をしているはずなのに、心は晴れないのか?

私たちは幼い頃から、「正しいこと」をするように教えられてきました。学校では正解を出すことを求められ、社会に出れば「常識」や「マナー」、あるいは「効率」「利益」という名の正しさに適応することを促されます。

しかしそんな日常の中で、ふとした瞬間に、言いようのない息苦しさを感じることはないでしょうか。「自分は間違っていないはずなのに、なぜか毎日が重苦しい」「成功しているはずなのに、心に穴が開いているような気がする」。

その違和感の正体は、あなたが生きている基準が、あなたの内側から湧き出る「自然体」ではなく、外側から押し付けられた「世間の正しさ」にすり替わっているからかもしれません。

世間の正しさは、私たちを均一化し、管理しやすくするための「設計図」なのかも知れません。対して、あなたの自然体は、誰にもコントロールできない「深い森」のようなものです。今回は、その二つを見分け、本当の安らぎへと帰るための4つの指針を提案したいと思います。

「べき」というノイズに耳を澄ませる

二元論の罠と、コントロール欲求の正体

まず注目すべきは、あなたの心の中に響く「声」の種類です。世間的な「正しさ」は、多くの場合、「善か悪か」「優れているか劣っているか」「正しいか間違いか」といった二元的な概念をベースにしています。

もし、何かを決断しようとする時に、「こうあるべきだ」「こうしてはいけない」という強い強制力が働いているなら、それは黄色信号です。その背後には、二元的な「善悪」や「優劣」に基づいて一方を「善」、他方を「悪」と決めつけ、その上で「状況や自分を思い通りにコントロールしたい」という強い欲求が隠れていないでしょうか。思い通りにならない自分自身や他者に対して、怒りや悲しみ、あるいは焦りを感じるなら、あなたは今、外側の「正しさ」の枠組みに自分を押し込めようとしているといえます。

一方で、自分の「自然体」に根ざしている時、心の声はもっと穏やかで静かです。それを東洋哲学では「中道」と呼びますが、これは単なる真ん中という意味ではありません。「陽(ポジティブ)な状態でも、陰(ネガティブ)な状態でも、どちらでも大丈夫」と、腹の底から納得している状態です。

「今日は動けていないけれど、それもまた自分だ」 「失敗してしまったけれど、それも一つの経験だ」

このように、良い・悪いのジャッジを介さずに、今の状況を丸ごと「くつろいで」受け入れられているなら、あなたは自分の自然体を取り戻しているといえます。

「平均値」という幻想を捨てる

あなたにとっての「ちょうどいい」は、統計学の中にはない

世間によって植え付けられる「正しさ」のもう一つの特徴は、それが「平均値」や「一般的なバランス」に基づいているという点です。「週に5日働き、適度に運動し、バランスの良い食事を摂るのが正しい生活である」といった具合です。

もちろん、それらは統計的には健康的なのかもしれません。しかし、イチ生命体としての「あなた」にとっての最適解が、常にその平均値と一致するとは限りません。

ある人は、世間一般よりもずっと長く眠ることで心身の調和が保たれるかもしれません。ある人は、静かな孤独の中に身を置くことで、はじめて創造性が開花するかもしれません。世間の物差しで見れば「極端」や「偏り」に見える状態であっても、あなた自身がその状態で無理なく、自然に息ができているのであれば、それこそがあなたにとっての「中道(ちょうどいい)」なのです。他人のモノサシは関係ありません。

自然界を見てください。背の高い杉もあれば、地面を這う苔もあります。まっすぐ伸びる竹も、柔軟に枝を伸ばす松も、どちらが良い悪いではなく、それぞれが置かれた環境で「そうなっている」だけです。あなたという存在も、世間の平均値に無理に合わせる必要はありません。自分だけの「自然なバランス」を許容したとき、外側の正しさに振り回される疲れは消えていくはずです。

「陰」を排除するエネルギーを解放する

ネガティブを包み込むことで完成する「統合」の視点

私たちは「ポジティブであること」を過剰に称賛する社会に生きています。悲しみ、怒り、不安、無気力といった「陰」の感情は、避けるべきもの、改善すべきものとして扱われがちです。

しかし、世間的な正しさが「陰を排除して陽だけを育てよう」とするのに対し、自然体で生きる人は「陰と陽の不可分性」を知っています。

例えば、光が強ければそのぶん影も深くなるように、大きな喜びの裏には、それを失う不安や、それを得るための苦労がセットになっています。逆に、深い悲しみを経験したからこそ、他者の痛みに寄り添える優しさが育つこともあります。「陰にも、陽にも、共に同じだけのメリットとデメリットがある」——この事実を頭ではなく感覚として統合できているのが、自然体の状態です。心の中で陰と陽のバランスが取れて安定した状態、ともいえると思います。

もし、あなたが今、自分のネガティブな側面を「あってはならないもの」として必死に排除しようとしているなら、それは世間的な「明るく正しい姿」という枠組みに囚われているサインかも知れません。

「雨が降らなければ、森の木々は枯れてしまう」。 あなたの人生に訪れる「雨の日(陰の時期)」も、実はあなたを豊かにするために必要なプロセスの一部なのです。

身体の「ゆるみ」を羅針盤にする

思考は嘘をつくが、身体は真実を知っている

最後に、最も確実な見分け方をお伝えします。それは、あなたの「身体感覚」です。

「世間の正しさ」を遂行しようとしている時、私たちの心と体には微細な、あるいは強烈な「緊張」が生じます。

  • 肩に力が入っている。
  • 呼吸が浅くなっている。
  • みぞおちのあたりに、言葉にできないブロックがあるような感覚があル。
  • 常に「次に何をすべきか」を考え、頭が熱くなっている。

これらはすべて、自分をコントロールしようとする(理想と現実のギャップを埋めようとする)負荷が生み出すノイズです。

一方で、自分の「自然体」に一致している時、そこには「ゆるみ」が生じます。たとえ困難な状況にあったとしても、心の奥底には「いま、そうなっている」という事実をそのまま受け入れているがゆえの、静かな安定感があります。

感覚が軽くなり、呼吸が深くなる。この「ゆるみ」こそが、あなたが自分自身の中心に戻ってきた証拠です。正解を探すのをやめ、ただ「今、ここに在る」ことを許したとき、心には穏やかな凪が訪れます。

設計図を捨てて、あなたという「森」へ

世間の正しさは、例えるなら「完璧に手入れされた設計図通りの庭」です。そこでは、雑草は一本残らず抜かれ、木々の高さは一定に揃えられ、季節を問わず見栄え良く整えられます。それは美しく見えるかもしれませんが、維持するためには絶え間ない「コントロール」と「排除」の努力が必要です。

しかし、私たちの本来のあり方は、手つかずの「自然の森」です。 そこには枯れ木もあれば、名前も知らない雑草も生えています。激しい嵐が吹く日もあれば、穏やかな陽だまりができる日もあります。整然とはしていないかもしれませんが、そこには「いのちの循環」があり、無理なコントロールを必要としない強靭さと躍動感、そして美しさがあります。

「設計図(正しさ)」を捨てて、自分のありようを「これでいい」と認めたとき、私は初めて、心の底からの安らぎを得ることができた気がします。

本当の安らぎとは、何かが完璧になった時に得られるものではありません。「このままの不完全な自分で、もう大丈夫だ」と、自分の森に身を委ねられた時に、向こうからやってくるもの。

今日は少し深呼吸をして、自分の中に「ゆるみ」を見つけてみませんか?

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